2019-05-15 第198回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号
実は私、群馬県下仁田町、大変ネギとコンニャクが有名なところの出身でございまして、この下仁田町でも一生懸命頑張っている製材屋さんがあります。
実は私、群馬県下仁田町、大変ネギとコンニャクが有名なところの出身でございまして、この下仁田町でも一生懸命頑張っている製材屋さんがあります。
○濱村分科員 今、全国のモデルになり得るものということで大変評価をいただいて、地元としても大変うれしいなというふうに思うわけでございますけれども、本当にこの木材センターの特徴としては、通常、こういった地域材を利用促進していくという取り組みは森林組合が中心になることが多かったりもするんですけれども、どちらかというとこの木材センターは、製材屋さんがかなりリーダーシップをとって二十三社を取りまとめてしっかりと
それから、最初の御質問ですが、この七十兆円にもなるすばらしい財産に対してほとんど金が使われていないということに対してどう思うかという御質問ですが、私も、委員と同じ島根の山奥に育ちまして、子供のころは、きこりさんがいて、炭焼きさんがいて、集落の中には必ず製材屋さんがあってということで、本当に山が我々の生活の一部、山と一緒に暮らしていたような気がいたします。
そして、地産地消の関係でございますけれども、これにつきましては、顔の見える家、森林所有者、そして製材屋さん、それから消費者、そういった方たちが入って、どこどこで取れる木材を使ってどういう家を造るといったような、そういう取組を現在全国で、あっちこっちで行われているわけでございまして、こういう点についても推進するようにやってまいりたいと思います。
板金屋が製材屋をやる、私は、そんな感じでおります。 そこで、再度お尋ねいたします。 この時点で、林野庁は、庄内鉄工からトリニティに変更された事実を承知していたのですか。
うちの県で言うと、いつも話題になるんですが、山の中にあった製材屋が、材木は海からとれるということになりまして海岸に全部集中しました。そして、森林組合が海岸に貯木場を買って行ったわけですが、今度は全部一次製品になって入ってくるということから製材屋はお手上げになる。それから、貯木場も要らない。
特に林野に関しましては、川上論、川下論というようなやつがありまして、そしてせっかく山を植林をしたが、その木が製材屋に買ってもらえない。製材屋は外材に頼っておる。今度は製材して合板屋に売ろうとすれば、合板も外国からの依存に今日は頼っておる。そんなことで、三者間におきましても、もう少しく調整がとれておらないということが何年か前にも議論されまして、こういう調整もやはりしなくちゃいけないねと。
国の財政投資については一定の御努力をせられておるということはわかりますけれども、現在の国有林の財政上の問題というものは、これは民間だって材木屋を初め製材屋はぶっつぶれておる、こういう状況でありますだけに、私は国有林の状況からして、ここでもうけるとか採算が成り立つとか、そんな考え方が成り立つような状況ではないと思うのです。
そこで、その人たちが現在は苦しくとも若干しんぼうしよう、何とか切り抜けていこう、あるいは製材屋、素材尾さんも、たとえ倒れてもまたいつの日かはとがんばろう、こういう気持ちの人も中にはいるわけでありますけれども、ただし将来の見通しというものが立たない。だから、いまは苦しくとも将来これで大丈夫なのか。
私は京都市で製材屋さんに直接会って話を聞いてみました。すると、この製材屋さんは、エゾマツの場合、長さ三・八メートルの角材、十五本一束のものが、五十一年の二月には仕入れ価格が千七百円であったものが、ことしの三月には六百円値上がりをして二千三百円、こういうことになっている。
当然、原木のままわれわれが使うわけではございませんで、それには中間の問屋さん、たとえば家具用材なら家具用材向きに分類された木材を扱う問屋さん、あるいは家具用材向きに製材する製材屋さんがございますのですが、こういう方々も、原木の価格が高いから高く売らざるを得ないのだということでございます。
それを、港へ船が着きましておろしまして、いかだに組んで、それを仕分けいたしまして、たとえばこれは家具用材の分だ、これは製材屋さんの分だ、これは合板屋さんへ行くのだ、これは建築屋さんへ行くのだといって仕分ける人たちがおります。
これは原木問屋、製材屋さん、それからメーカーももちろんそうでございますが、仕事に差しつかえないという程度まで在庫を減らしたことは事実でございます。 それが、需要が急上昇したということでございまして、それにこたえるためにやはりある程度の手持ちを持たなければならぬ。
製材用地というものは、製材屋さんをたくさん集めて一角で製材工場地帯を作るような計画を今後進めていきたい。従来までやりましたものは、あまり数は多くはございませんが、大阪港内におきましては、地盤沈下等がありまして、従来の貯木場が非常に低くなったのと狭くなりましたので、平林というところに新しく製材場を作りまして、そちらのほうに全部近代的の施設をしたわけであります。
そういうものの内容を、これは私どものほうに、いろいろ資料がございますから、いろいろ分析をしてみますと、先ほど長官がお話をしたと思いますけれども、たとえば製材屋さんのいろいろな関係の資金で、正式な金融機関以外の、たとえば個人なり、あるいは貸金業者から利積みをしたり、そういうような不利な条件で借りておるやつが、私どものいろいろな中小企業の総合調査のあれからいろいろとはじいてみますと、全体の資金の借り入れの
外国の木材を日本の建築に合わせるような形に、長い間苦労して、アメリカの製材屋等の関係等と契約して、そしてむだを省いて一番大事な小角物をおもに二十五万立方メートル入れようという計画を進めているのです。これは値を下げる方の努力であって、値を上げるための努力ではないと思います。
こういう部落の者が申し合わせをしまして――先回のお話では、製材屋がなければいけないとか、原木でなければ買っては損ですよ、そんなことはとてもやれません、と言われましたが、もうある程度電気は復旧したし、製材にかかれる、ほしいものは節があろうが、少々筋が入っていようが、今の場合言っておられませんから、その部落々々に必要な素材の数を集めて、そうして町村長の名をかりて買う。
大体その現金を得る道は、山に入って木を切るとか、あるいは用材にする木を製材屋から頼まれて切って現金収入を得るとか、あるいは炭を焼くとか、こういうふうな点があるのであります。すべてが富士へ依存してわれわれは生活するのであります。こういうような状態にあるときに、米軍にあすこをとられてしまったら、われわれはどうして立つんだと、こういうことです。